貧乏アンバサダーの日常

いらっしゃいませ。
艶子の部屋へようこそ。

貧乏なのでお茶すら出せませんが、
どうぞごゆっくりしていってください。

貧乏川柳

貧乏とは
 わかっていながら
  ググるカス


こんばんは、艶子です。


お金ないなーと思いつつ、貧乏という言葉をぐぐってみました。
収入・財産が少なくて、生活が苦しいこと。と書いてありました。
大当たりですよ。艶子のことですよ!!


まーねぇ、お金が乏しいくせに育毛剤買っちゃうようなバカなもんで
仕方ないですね。


うーん、11月はかなり厳しい。
踏ん張り時です。


えっと、、、いつだったかな。
昨年とか最近の出来事だったと思います。
相変わらずお金がなさすぎて、子供のおむつが買えなかったんですよ。
なので、炊飯器を売ります買いますへ持って行きました。
何と3千円で買い取ってくれたのです。
それでおむつを買いました。
そんなこともあったな。


今は定期的に消費するものの中で、子供のものは減りましたので少しは楽になりました。


人生の中で一番氷河期だったのはいつかな・・。
多分妊娠中じゃないかな。
所謂、食べ悪阻だった艶子は常にお腹を空かせてました。
でもね、お金がなくて何も買えない。
子供の父親である彼が、お米やスーパーで材料を買ってくれることもしばしばありました。
でも家賃等は滞納。電気も止められました。
そこで思い切って市役所へ相談に行ったんですよ。
そしたら窓口で対応してくれた人が超不機嫌で、こっちは今日明日のお金がない、
所持金が200円もないんだと必死で訴えるも鼻で笑う始末。
子供の父親となる人を相手に訴訟を起こし責任をとるよう申し立ててください。
話はそれからです。と言う。
あのー、それでは時間がかかりすぎます。と何度言っても、裁判が先。次に生活保護の申請。
この押し問答で話しにならない。
仕方がないので、わかりました、と席を立ち有難うございました。と頭を下げお礼を言う。
頭を上げたときには既にその担当はいなかったという。
不機嫌の八つ当たりをされてもねー・・。


何か段々腹が立った艶子は、家に帰り市長へ直接メールをした。
勿論苦情のメールだ。
これはこれはすみませんでした。というテンプレ通りの返信があったのみ。
(本当に市長が読んで返信してきたかは謎)
彼とも何度も話し合い、彼いわく生活費は出さないけど中絶費用は出すとのこと。
ふざけんな!と怒りましたよ私は。
お前の詐欺まがいの行いがこんな結果を招いたんだろうが!!ってね。
あの頃はとても情緒不安定で、自殺も本気で考えてた。
首吊ったら子供はどう流れ出るんだろうって想像もした。
子供も一緒なら死んでもいいかなってたくさんのことを考えた。


そして艶子はもう一度ダメ元で市長へメールを送る。
これでもダメなら本当に死のうって思ってた。
役所の対応、彼の対応、そして自分が一番バカだったという遺書をメデイアにも郵送し
彼の会社にも市長にも同じ内容で遺書を送りつけてやるって本気で思ってた。
皆めちゃめちゃにしてやろうってね。
それらが逆恨みだったのかどうか、未だにわかりません。
だって、生活保護って可否は別にして誰でも申請はできるんですよ。
役所の人でさえ、申請はできませんと突っぱねることはできない。
誰でも申請はできる。それすら出来なかったことはおかしい話。
実際大阪で申請すらさせてもらえなかったと全国的ニュースになったこともあった。
(それは艶子の問題の後に浮上したニュースだけど)


そしたら、翌日すっ飛んで生活福祉課の課長さんだったかな?忘れたけど、
役職付きの人と子育て支援センターの人が家を訪ねてきた。
だけど、艶子居留守つかっちゃったんだ。
何故かわからないけど、息を潜めてじっとしてた。
もう死ぬことしか考えてなかったから、どうでもよくなってたんだろうね。


そして翌日にまた来た。
そのとき、艶子が部屋にいることがバレてる様子だったので玄関を開けた。
そして開口一番、生活保護の申請をしましょう。っていうことだった。
何なんだろうね・・。虚しかったし、恥ずかしかったし、涙出そうだし、有り難かった。


そして今の艶子があります。
愛しい子供も無事に手にした。


あの頃が一番病んでたし終わってたなぁ。
だから、今後どんな状況になろうと耐えられるような気がするんだ。


『貧乏』という状況は変わらないけど(笑)
でも前進できた。


艶子は安月給だし納税額なんてしれてるけど
あの頃受給してた保護費を返す気持ちで働いて納税しないといけないなと考えることがある。